名も無き世界のエンドロールのマコトについて
※ネタバレしかありません。
外に出るのがめんどくさくて嫌いなので、基本的に映画見るなら仕事の後に行くパターンが多いです。
とはいえこのご時世でレイトショーはやってないので、気は向かないし、出番は秒らしいけど好きな子が出るという『花束みたいな恋をした』を見に行こうにも休日にわざわざ恋愛映画見てしにたい気持ちになりたくないし、うだうだしてたんですよ。
でもEXILE TRIBE LIVE TOUR 2021 ″RISING SUN TO THE WORLD″の名古屋公演が延期になって、とってた有給そのままにして4連休ができたので、4連休あるなら1日くらい映画のために外に出てもいいかもな〜。綾野剛も岩さんも同日公開の作品をみんな見てくれみたいなこと言ってたし、と思って、
『花束みたいな恋をした』→『名も無き世界のエンドロール』
という二作品を一気に見るスケジュールをたてました。
今思えば、『名も無き世界のエンドロール』になんかそこまで見たい気持ちあったか?多分『花束みたいな恋をした』でぐへえってなるからそのあとになにかしらで上書きしようとか思ってたのかなあ。
原作小説は読んでいないし、とりあえず最後何分かのどんでん返しなんでしょ?という予告の知識、そしてTwitterで流れてくるその宣伝文気にしなくていいと言いたいっぽい岩さんのメッセージくらいを頭に入れて見たんです。
多分察しのいい人は最初から結末は見えてたんだろうけど、私はヘッドライトを当てるシーンまでずっと騙されたままでした。
確か、そこらへん。
そこらへんでもうすごい衝撃で。
ずっとヨッチはどうなるのかという、分かるけど分かりたくないようなざわざわした気持ちで見ていたけど、マコトの真の狙いが分かった瞬間に電撃が走ったかのようにそれまでのマコトのいろんな表情が流れてきました。
もう、抱えきれんほどの、好き!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!だった。ビビった。
私の話になるけど、もうこれ以上の推しはいないと思った推しが過去にいて(一般人になりました)、そういうのもあって、大好きな乙女ゲーム CLOCK ZEROのキャッチコピー?である【君のいない世界なんて、いらない】がオタク人生の信条だったんですよ。
※あんまり精神的によろしくないから今はもっと健やかに推そうと思っています。
信条だったし、フィクションとして【君のいない世界なんて、いらない】が好きなオタクにマコトが刺さらないわけがなかった。
本当にいらなかったんだろうな、ヨッチのいない世界。
というかもうマコトの世界はヨッチを喪ったことで終わっていて、あれからずっとエンドロールだったんですよね。
なんてたまらんのだと震えたわ。
震えてTwitterで検索かけたらキダ目線や置いてかれたキダに対する感想ばっかりで、自分がマコトメインで考えすぎていたことに気付かされて笑っちゃったね………。
キダ主人公だし、キダ目線で進んでいくからそらそうなるわ、と。
キダもすごい好きだった!でも絶対私にはマコト。マコトにめちゃくちゃ惹かれました。
予告でシビア〜サスペンス〜みたいな印象受けていたので、こんな激重執着男の愛を見られる映画だと思わなかった。
(純粋に大好きなので変な意味とかはないです)
大丈夫か?こういうの好きなオタクはちゃんとマコトに出会えているのか……?
まあそもそも原作小説が結構前のものだし、みんな知ってるのかな……。
見終わってあまりにもマコトに心奪われてしまって、その日はマックでラブパトのおもちゃのためにハッピーセット買うっていう目的があったけど、自分でも分かるくらい足取りがすんごく重かったです。
マコトのこと考えてね。しかも二作品を連続で見たからか、頭痛くて………(ょゎぃ)
で、帰ってきてハッピーセット食べても頭痛いから寝たんですけど、起きてもマコト。
次の日もマコト。
これは駄目だと、初見の次の次の日(つまり4連休3日目!)に2回目見てきました。
見るのが遅かったので、もう1日1回しか上映が無いのでそこに合わせて外に出ました。
2回目はとにかくマコトに注目、と決めたはいいけど、意外といないことも多かった。
いや、メインだし、そんなことはないんだけど、もっとマコトが見たかったし、やっぱりキダが主人公だなと思いました。
1回目見終わったあとにマックまで歩く中であれも、これも、と考えてた最初のキダちゃんにもドッキリ仕掛けといたの発言。鈑金塗装屋でのまるで仕事へのやる気のない姿。暗い部屋でじっとリサを見つめる瞳。
全てを知って見たら見方が変わるシーン。
2回目はこういうシーンをじっっっくり見ました。幸せだったー。
マコトがただ1つのことだけを考えている姿。
でも小野瀬誠としてのパスポートや免許証貰ったときの「うわ、すげ」とか、元小野瀬誠の親子揃っての自殺を聞いたときの顔とか、完全に裏の人間の顔をしているキダとは違って学生時代のマコトが少し見えるようで、そういうのには戸惑ったな。
サイコパスという表現はなんか違うけど、人間がガラッと変わったわけじゃなくてマコトはマコトのままでああいうことになってる。
あ〜〜〜〜。
なにより好きなのは2つあって、どちらも見せ場だと思うけど、指輪をヨッチが喜んでくれるかどうか気になって仕方がないんだと吐露するシーンと、最後のホテルでの押しボタンは押さないと立場がないよなってシーン。
今打ちながらも喉元までなにか出かかりそうなくらいぐわあああって来る。好きすぎる……。
もっと、キダとマコトの関係性とか、残されたキダについてとか、いくらでも考えることはあるけど、マコトの10年間がたまらなく美しくて、圧倒的な存在感として私の中に残ってます。
ヨッチが映画見るのは嫌い、と言っていたけど、私も結構同じで終わっちゃうのが好きじゃないんですよね。
こんなにマコトを好きになっても、これ以上なにも追えないんですよ、そういうのが苦手で。
(マコトはもう亡くなっているのでこれ以上も何もないですが?というツッコミはやめてください)
とりあえず原作小説と、パンフを買いました。
原作小説読んでしまえばもう終わっちゃうなと思ってまだ読めてないです。
大層な記事でもなんでもなくてただただ好きなキャラクターに出会えて大歓喜しているオタクの日記でした。
マコトの部屋でマコトとキダが対峙して、漏れる「指輪ぁ……!」がずっと忘れられません。
“どっちともとれるような演技をして”との依頼に素晴らしい形で応えた新田真剣佑さんに最大級の感謝を。
そして、“最良の死に方だったと思います”と言ってくれたことにも感謝。いつまで経ってもあなたのマコトが好きだと思います。
ところで、マコトが最後にキダに仕掛けたドッキリはホテルの違う部屋を教える、というドッキリだったけど、コーラの缶と爆破は何も関係ないですよね………?
でもパンフに「その缶を手に取ると――。」って書かれてるの見て、そうか、と思いつつもこれだけは信じたくないなって思ってます。どうですか?
小説読んだら分かるかな。
故・貴族降臨
貴族降臨、見ましたか?
貴族誕生、見ましたか?
まず、この記事を書くにあたって、現時点での自分の感情を先にお伝えしておくと、戸惑い、憤り、悲しみ、といった感じです。
貴族誕生は各回、普通に1回は見ました。コールはとても好きだったけど、ハイローっぽいなどと言われているのを見て私たち(主語がデカい)が好きだったプリレジェは貫ききれなかったのだと落胆していました。
結局、貴族降臨を計8回見た結果、貴族誕生に対して「お前、、お前さえいなければ、、!」と憎しみにとらわれてしまうことになります。
この記事は、貴族誕生が存在しなかった世界の貴族降臨とドリー様について思いを馳せまくっているめちゃくちゃ余計な話です。
■貴族降臨と貴族誕生について
劇場版 PRINCE OF LEGENDとそう期間を空けずに貴族降臨の撮影は行われています。しかし、貴族誕生の撮影はその後であることはすでに有名な話かと思います。
貴族誕生に出てくるキャラクターは聖ブリリアント学園の生徒以外は「(株)全日土木」「クラブ テキサス」「クラブ サンマルチノ」という、無印版でいえば3つの『チーム』になっていますが、これら、全ての存在が、貴族降臨撮影時には無かったようです。
全ての設定が無かったかについてはそこまで直接的な表現を見ていないので推測でしかありません。
とはいえ、以下キャストの座談会動画にて亜嵐くんが「『貴族降臨』を撮ってドリーをやっている時は安藤シンタロウの存在を知らなかったです。お兄ちゃんいるなんて…!!」と言っているのでそうなのではないかと思っています。
白濱亜嵐×荒牧慶彦×DAIGO『貴族降臨』禁断のネタバレあり!座談会
この動画を見るまで、さすがに兄の存在くらいはあったっしょ~~などと信じていた自分をぶん殴ってやります。
放送時期は貴族誕生が先で、映画へと繋がる内容となっています。いや、なるはずなんですが。貴族誕生の設定は全て後付け、となると、途端に貴族降臨の疑問点が湧き出てきてしまって情緒が不安定になります。
■ドリー様が聖ブリリアント学園を乗っ取りに参りました~(お辞儀)する目的
貴族誕生をご覧になられた方は安藤シンタロウがドリー様になった理由はいろいろ考えられるかと思います。
・伊集院信虎の仇を討つため(めっちゃメイン)
・(株)全日土木を守るため?
・病気で倒れるシニアに代わり、クラブ テキサス(シニアの言う家族)を守るため
(貴族誕生はあまり見返す気にならないので間違っていたらすみません……あんま思い出せなかった……)
降臨(貴族まで打つの面倒になってきたから省略するぞ)の追加撮影であろう、クラブ ゴッチまで向かうリムジンの中のシーンで、ミッシェル(ていうかヤス)が「これで、ここら一帯の地上げ屋、闇金、ブラック企業は全てクラブ テキサスの傘下ですね」って言ってて、シンタロウはただただホストになったわけじゃなく、シニアからの遺言(まだしんでないよ)「みんなが笑顔になれる世界をつくってくれ」を守りつつ、信虎を傷つけた犯人捜しをしているんだなあってなるんですよね。シンタロウさんは立派だでなぁ。。。
そして、クラブ ゴッチに到着後、ノアから聖ブリリアント学園のパンフレットを受け取り、誤った学園の情報(王子は庶民を駒のように扱う教育を受けている)を鵜呑みにする………
シンタロウすぁん!!!!!!!!
なんでだよぉ!!!!!!!!!!!!
途中まではまだ良かったのにな~んで信じちまうんだ~~!!!
そいつだよ!!!諸悪の根源!!!
誕生でシンタロウさんを頼れる愛の深い社長としてカッコよく描いている分、間抜けすぎて微妙すぎません?
と、ここまでが誕生があってこその「この学園を乗っ取りに参りました(お辞儀)」の理由ですね。
じゃ、じゃあ!?!?降臨撮影時はどうして乗っ取ろうとしていたんですか!?教えてーーーーーーーーーーーーーーーー!?!?!?
伝説の王子の間(ドリー様の間に変えられてたけど)で、貴族 VS 王子の構図になったとき
尊人「なんでこの学園がほしいんだ?」
ドリー「伝説の王子を抹殺するため」
からの
ドリー「キャラが被る(不本意だ…って顔)」
これ、意味分からないじゃないですか……。
でも正直、PRINCE OF LEGENDなら『アリ』だと思ってしまうんですよ。
単にホストのナンバー1が「伝説の王子」に興味を持ってぶっ潰しに来るという物語。
ドリー様が「PRINCE IS DEAD」ってやたら言うのもそういうキャラクターならば一貫性が出るし、そもそも三代目伝説の王子である奏さまの動画をチェックしている様なんてそんな感じじゃないですか。
無駄にバックボーンを大きく付け足してしまったがために、降臨本編(誕生時の撮影による追加分以外を指します)のドリー様、というか一応シンタロウさん、が間抜けに見えるんですよね。
絶対誕生の時のようなこと考えて行動していないだろうに。
フェンシング対決のあとのクラブ ノーブルのシーンもそうです。
伝説の王子に負けた、もうナンバー1ではないから解散しよう、だなんて。
家族だと思っている全日土木から離れてまで、仲間を傷つけた仇をとろうとしているシンタロウさんがそんなことで諦めるわけがない。
■ここから妄想
でも、もし、ドリー様がたくさん努力して、貴族の頂点に立っているとしたら?
周りには優秀なホストがたくさんいるけど、誰にも心を許していない孤高の存在だったら?
フェンシングシーンでも「ドリーはナンバー1じゃなきゃ意味がない。みんなが愛してくれるのは世界一のドリー。負けたらドリーは終わりだ。だから俺には勝利しか見えない。」とまで言ってるんですよ。
信虎ののの字もねえ。それでもこの考えこそが「ドリー」という存在を創り上げてきた男の執着であり、願いであったのであれば、そしてその孤高の存在の友となる男が朱雀奏であったのであれば、もう少し面白かったと思うんですよ。
最後の二人のシーン。
ドリー「まだ何か?」
奏「あなたが学園を混乱させ、みんなを苦しめたこと、許せません。でも戦っていて思ったんです。僕たちは似ているのかも、って。認めたくないけど……」
ドリー「だから勝ちたかったんだけど」
ドリー様は奏さまと自分が似てるって思ってたんですよね。(まだ私はここ整理できてないんですけど)
ぶっ潰す目的といいつつ、近づいてみたかったのかもしれない。
そんなドリー様に奏さまが戦う必要はない、別のところで輝いていればいい、って言ったんですよ。
ナンバー1でなければならない、そうしないと愛してもらえないと思っている男が、同じくナンバー1となった男に、それぞれの輝きを、ドリー様自身の輝きを認めてもらえたんです。
クラブ ノーブルでドリーチルドレンからも「ドリー様は私たちのナンバー1です」と強く言われて、これでやっと彼はナイトリングのナンバー1だからみんなが愛しているわけではなく、自分のことを見てくれていると知ることができたんです。
ドリー様にコールを捧げるドリーチルドレンを見る亜嵐くんの演技は本当に素敵です。
こういう物語であったならば、とずっと考えています。
■変なハマり方で切ねえ
降臨のことは批判がうまくできません。だってやっぱり新しい貴族というキャラクターはプリレジェシリーズだなと思うくらいそれぞれに個性があって好きだし(プリロワで補完してます)、王子たちは相変わらず素敵だし、好きなシーンがめちゃくちゃあるんですよ。
Twitterでアホほどツイートした。
舞台挨拶もないのに8回も見た映画は初めてです。コロナがなければもっと行ってたと思うし。でも行くたびに、安藤シンタロウではない、ドリー様を映像から探してしまうくらい、ドリー様を好きになってしまったんですよ……
1分で24時間分幸せにしてくれるんですよ。
「幸せになれる魔法、かけてあげる」
「俺が『伝説』なんで」
「どんな時も俺がレボリューション」
「俺、世界を100%ドリーにしちゃうから」
「ドリーの辞書に『負け』って言葉はないよ?」
「だって俺、ドリーだよ?」
\ドリー様の名言いただきました~~!!/
あの顔面で、あの身なりで、亜嵐くんが2.5次元を目指したように、本当に濃いキャラクターになってます。
こういう発言の裏にはきっと『ドリー』を創り上げる過程があるはずなんですよ。
それはシンタロウさんの人生とは当初、違ったはずなんです。それをどうしても追い求めてしまうんです、、、そんなものはもう誕生のせいで語られるわけがないのに。
でもね!?シンタロウさんも好きなんです~~!
二人が同一人物だからこそ、二人の信念にブレが出てしまったと思っています。
二人を同一人物にした罪は重い。
亜嵐くんはめちゃくちゃ大変だったと思うし、シンタロウさんを後から辻妻を合わせようと演じてくれたことはもう生涯自慢にしてほしいくらい。だって無理だもんあんなん。いくら仕事でも。
(あとどうにかうまいストーリーに修正しているプリロワのシナリオライターさんもすごい。)
貴族降臨でドリー様に変なハマり方をしてしまったせいで映画館の前から4列目くらいでドリー様をガンガン浴びていた人間の余計な話でした。
本当は降臨についてはチーム奏のこととか、いろいろ話したいことはあるけど、どうしようもなさすぎる無駄な感情を整理するために文章にしました。
は~~~もっと多くの人に見てほしい、感想ききたい。
というか、このまま終わらせるわけにはいかないんだ、、誕生のせいで謎に追加された「悪」があるからね……。
誕生は、クラブ ノーブルが聖ブリに乗っ取りに行く前の前日譚であればよかったのにと思っていて、でもそうでなく、あんな加害ストーリーになってしまったのはこのシリーズの続編を作るためだと言い聞かせているんだから。頼みますよ……。
PRINCE OF LEGENDと朱雀奏と片寄涼太について
皆さんはすでにPRINCE OF LEGENDと出会えているだろうか。
PRINCE OF LEGENDは『プリンスバトルプロジェクト』として芸能プロダクションLDHが手がける、映画、ドラマのみならず、ゲーム、ライブ、イベントなどへ展開するメディアミックスプロジェクトのことである。
LDHのイメージはもちろん、これまでの恋愛ドラマ、恋愛映画の常識を覆す実験的な映像作品となっている。
このPRINCE OF LEGEND、通称︰プリレジェには14人の個性豊かな王子が登場するが、その顔とも言うべきチーム奏の朱雀奏をGENERATIONS from EXILE TRIBEの片寄涼太が演じている。
プリレジェにハマり、雑誌やインタビューを読み漁っていてやはり片寄涼太くんの存在はプリレジェにおいてあまりにも大きく、言ってしまえばこのプロジェクト発足のきっかけにもなっているのでは?とすら思ってしまったのでこうしてはてブロに書いてみようと思った。
最初に明記しておくが、長年LDHやGENERATIONS、そして片寄涼太くんを見てきた人間の言葉では決してなく、ただこの数ヶ月で圧倒的なスター性に恐れ慄いている人間の言葉だと思ってほしい。
まず、前提として、2018年の10月、突如、今まで自分とは全く関係ないであろうと思っていたLDHの人間に興味を持ったことから始まる。
そこで、2018年5月に発表されたPRINCE OF LEGENDのドラマが放送間近だということを知った。
LDHのメディアミックスプロジェクトといえば2015年から始まった『HiGH&LOW』があることは知っていた。違う国のお祭り騒ぎを遠目から眺めているような気持ちでSNSの盛り上がりを見ていたのは今でも覚えている。あまりに楽しそうだったので興味はあったが、そこで一歩を踏み出すことはなかった。しかし、今回のPRINCE OF LEGENDは違ったのである。
なぜかというと、単純な話になるがキラキラしたものや王子様、そういったものが好きな自覚があったからだ。どうしようもなく、単純で申し訳ないのだが、乙女ゲームは好きだし、キラキラしたアニメーション、設定、カメラ目線の胸キュンワードなどそういったものを好んで生きてきた中、PRINCE OF LEGENDは発表当時から少し気になっていた。この時点でLDHの戦略の思うつぼだったのは後から知ったことだ。
(しかし蓋を開ければ単にキラキラしてるだけではなかったのだが。)
今思えば世間一般が思い描くLDHとは全く違う意欲作であることは分かりきっているが、当時は特にそのようなことも考えず、単純に「王子が大渋滞」とかいうわけのわからないワードセンスに心躍らされた。
そうして始まったドラマ全10話であったが、ストーリーが進むというよりかは、登場人物の紹介がメインであり、彼らへの愛着がどんどん湧いていく構成となっていた。
頭の悪い話で恐縮だが、深いストーリー性よりもいかに自分が登場人物を好きになれるか、ということが大事な自分にとってはこの「キャラクターIP(知的財産)戦略」に軸を置いているプリレジェはとても合っていると感じた。
個人的に、ドラマが始まる前と後ではチーム京極兄弟への思いがまるで変わった。
チームは複数あるが、チーム内でヒロインへ好意を寄せる王子が一人以上いるチームは京極兄弟だけである。
しかし、対ヒロイン以上に彼ら兄弟の関係性の描かれ方はとても素晴らしかった。正直、4話は何度も見たお気に入りの回だ。
とはいえ、京極兄弟だけでなく、それぞれのチームの良さが丁寧に描かれていたので結局皆好きになってしまった。
その中でも、ドラマを通して好きという気持ち以上に絶対的な信頼感を感じたのがチーム奏の朱雀奏であった。
前述した通り、朱雀奏はPRINCE OF LEGENDの顔である。そう言っても過言ではないだろう。
個性豊かな王子がたくさん出てきている作品の中で、総資産数兆円と言われる朱雀グループの御曹司だなんて、贅沢な話だが王道すぎて個性としては逆に薄いかもしれない。
どのキャラクター紹介の際にも出てくる属性が2つあるが、朱雀奏は「容姿端麗」「スポーツ万能」である。もはや、「で?」状態である。
そこについては、演じる片寄くんも
「実はあまり装飾を施せる役柄ではありません。」(Cinema★Cinema No.79より)
と言及している。
周りがあそこまで個性豊かな中、逆に王道の王子様が勝利を目指していくのはどうしたら良いのかを考えて辿り着いたのが、飾らないこと、ピュアであること、となったという。
「奏は純粋であることが一番の武器だし、赤ちゃんとか野に咲く花みたいに、なにも飾らないことが美しいというような、そんなところに近づけたらと思ってやっていました。(Audition blue Apr.2019より)」
確かに、ドラマでは亡き母親の言葉と同じ言葉を発するヒロイン・成瀬果音を見て、それだけで恋に落ちてしまう。
まるで夢心地のように彼女への想いでいっぱいいっぱいになる奏であったが、心無い言葉を浴びせられて、
「違った。あの子は、僕のプリンセスではない。運命じゃ、無かった。」(ドラマ1話より)
と吐露する。
側近の二人が心の中では多くのことを考え、行動していることも対比してくるので、奏のこういった行動や、表情は片寄くんの言うように赤ちゃんのような純粋さが際立つ。
ドラマが始まる前の特番で片寄くんは「奏は皆様のものだから」といった発言をしている。
朱雀奏を創り上げるにあたり、側近二人の俳優 塩野瑛久くんと飯島寛騎くんにたくさん相談した、という話の流れではあったが、私はこれを聞いた当初、「みんなの理想の王子 奏さま♡」という受け取り方をした。
けれどもドラマを見終えて、映画もすでに見ている今、「みんなの奏さま♡」とも思いたいが、ある意味ちょっと違うのではとも思っている。
朱雀奏は片寄くんが考え抜いた結果、あのような純粋無垢で汚れのない存在として作品中に存在している。
その中でさらに、周りの王子たちがその真っ白な朱雀奏に少しずつ色を足している、と私は思う。
それも他の色ではなく、更に真っ白になるような色である。
例えば、チーム生徒会の綾小路葵は由緒ある家の跡継ぎとして生まれ、幼い頃から神童と呼ばれ、今までずっとトップだと思って生きてきた。そこでとあるパーティーにて朱雀奏と出会い、敗北感を感じる。
このエピソードでより、朱雀奏の圧倒的な王子度が明かされるように思った。
また、ドラマ最終話では、奏の本当の気持ちに気付いている尊人から「いい加減素直になれよ」と言われる。それに対してもまるで理解ができないと言ったように、果音への不平不満を漏らす。
奏「あ~思い出すだけで、イライラする。こんなこと今まで無かった。果音といると初めてのことばかりで調子が狂う。なのに、向こうはいつも平気な顔をしている。それがまた腹立たしい!くぅ~!」
尊人「で?」
奏「僕は果音が大嫌いです!」
尊人「逆だろ……」
このやり取りは鈴木伸之くんの演技があまりに素敵なので(おそらくアドリブであろうセリフもある)大好きなのだが、恋愛に対してはちょっと大人な尊人とひよっこな奏が見えて良い。
大体チーム間で関係性が完結しているキャラクターが多いが、その中で朱雀奏は他チームとの絡みが多い印象である。
朱雀奏はあの真っ白な制服、ふんわりとした髪型、綺麗なお屋敷に執事やメイド、リムジン、側近たち、そして片寄くんの甘いお顔と、プリレジェに登場する他の王子たちの奏への思いや、態度、言葉でできていると思う。
このど直球に記号化されたかのような王子・朱雀奏はこの作品で最初にヒロインから「クソ王子!」と言われて突き飛ばされてしまう。
PRINCE OF LEGENDはこうして始まる。
まさにPRINCE OF LEGENDによって創り上げられたプリンスバトルプロジェクトに必要不可欠な存在である。
紛れもなく、真ん中にいるべき存在だと、思った。
そして、そんな朱雀奏を演じているのは片寄涼太くんだが、そもそも彼はHiGH&LOWには出演していないものの、『兄に愛されすぎて困ってます』でも看板を背負っている。
こういったプロジェクトの顔に二度も任命されるなんて凄いことだし、批判ではなく、単純に何故だろうと考えていた。
ドラマを見て、映画も完成披露上映会にて見たので、朱雀奏が片寄涼太くん以外にできる役柄であるとは到底思えないし、やはり彼が演じたことは大きな意味を持つことは分かっているが、漠然と疑問があった。
その疑問に答えになるかは分からないが私なりの解釈が生まれたのは、この映画公開前の雑誌発売ラッシュのおかげである。
プリレジェのことを知りたい一心で発売される雑誌に目を通してきて、少しずつ紐解いてきたが、中でも2019/3/4発売のキネマ旬報NEXT Vol.24の片寄くんのインタビューと、別冊付録+act Vol.31の制作陣インタビューは良かった。
容姿や物腰が従来のLDHとは違う色であった片寄くんはこれまで生きづらさや居心地の悪さを感じてきたという。
その中でこのプリンスバトルプロジェクトの一番のメインを任せてもらうことになったことを、
「この事実を、僕はこれまで自分がやってきたことのひとつの結果だと思ってもいいんじゃないかと思ったんです。だからすごく嬉しかった。」(キネマ旬報NEXT Vol.24より)
と語っている。この言葉はとても重く感じた。その後に続くのは
「その分、より責任は感じましたけど」
という言葉で片寄くんらしさを感じたけれど。
その『これまで自分がやってきたこと』にあたる一例が先述した『兄に愛されすぎて困ってます』という作品である。
私は正直、この作品をリアルタイムで見ていたわけではないので当時の盛り上がりなどを肌感覚的に知っているわけではないが、現在の中国における爆発的な人気を見るとその影響力が分かる。
この大きな結果によって片寄くんは目指してきた方向性に自信が持てたと語っている。
私はPRINCE OF LEGENDが出来たのはHiGH&LOWの成功が背景にあると思っていた。
それは事実だが、
(「今度は女性に向けた『HiGH&LOW』みたいな作品を一緒に作りませんか、というスタート」であったと日本テレビの植野プロデューサーの言葉がある(別冊+act Vol.31より))
それと同様に『兄に愛されすぎて困ってます』を含めた片寄涼太くんの存在が強かったのではないかと思ったのだ。
というのも、最初に「王子が大渋滞」といったコンセプトができ、王子をたくさん出そうとした時点でセレブ王子とヤンキー王子は最初から決まっていたという。
その時点で
「HIROさんや脚本の松田裕子さんと、『セレブ王子は片寄だよね』みたいな話をしながらキャラを決めていきました」(別冊+act Vol.31 植野プロデューサーインタビューより)
という話なので、最初からこのプロジェクトの根幹には片寄涼太くんがいたことになる。
そもそも、片寄くんが所属するGENERATIONS from EXILE TRIBEというグループ内で片寄くんは王子という立ち位置である。
私はプリレジェを通して片寄くんに興味を持ったので、GENERATIONSをしっかりと見たのも勿論プリレジェの後である。てっきり、プリレジェで王子をやっているから王子呼ばわりされているのかと思えば、過去の映像等を見ていても昔から片寄くんへの扱いは王子だったのである。
ちなみにHIROさんですら食事の席で「この方、王子なんでワインお願いします」と店員さんに言うらしい。(FLIX plus vol.30より)
20代の男性メンバーから当たり前に「王子」という扱いを受ける片寄くんを見ながら周りの20代男性メンバーよ、どういうことだと混乱したりもしたが、混乱したとしてそのワードと片寄くんの雰囲気にはしっかりとした正当性があるので、「ま、まあ確かに王子だな」と思わざるを得ない。GENERATIONSのメンバーである佐野玲於くんも
「イメージと生活スタイルがかみ合ってる感じがします。だから、ああ、王子かって(笑)」
と発言している。(FLIX plus vol.30より)
これは「王子」という一見LDHには馴染みなさそうな要素を持つ彼が自分の持っているものを発揮してきた結果なのだろうと思う。
話は『兄に愛されすぎて困ってます』に戻る。本当は当時のインタビューも読めたら一番いいのだが、残念ながらそれはできていない。
しかし、東京カレンダー 2019年5月号にて素敵な事実を知った。
二十歳ぐらいのころに、ふと我にかえって自分がEXILE TRIBEっぽくないんじゃないか、このままGENERATIONSのメンバーとして活動していていいのだろうかと、仕事を終えてグループから離れると考えてしまうようになっていたらしい。
その転機となったのが『兄に愛されすぎて困ってます』のプロデューサーの言葉であったという。
それは
『不良のように見える集団の中で、一番不良っぽくないことをやるのが、実は最もクールなんじゃないか』
という言葉だった。
周りと違うからといって萎縮していたら自分の可能性を狭めるだけだ、やらせてもらえることがあれば自分なりにチャレンジして、受け入れてもらえなかったらその事実もしっかり受け止めればいい。と考えられるようになったとのことだから驚きである。
まさに、その通り、萎縮せずに自分らしさを貫き通し、その結果が今、飛ぶ鳥を落とす勢いの片寄涼太である。しゃべくりに一人でゲスト出演し、EXILEっぽくないと言われるように新しい道を切り拓いている片寄涼太、その人なのである。
東京カレンダーでは
「自分を俯瞰する冷静な視点を持ち、そのうえでありのままの自分を受け入れられた人は強い」
と書かれていた。
とても素敵な文章だと思ってこの一文を繰り返し読んでしまった。
同誌で片寄くんはPRINCE OF LEGENDというプロジェクトをやるなんて10年前のEXILEを見ていた人は誰も想像しなかったのではないでしょうか、HIROさんの柔軟性があればこそだと思いますといった発言をしている。
とはいえ、私はどうしても、このプロジェクトは片寄涼太くんがいたからこそだと思いたい。
もちろん、片寄くんの言葉通りHIROさんの素晴らしい手腕があってこそだろうと思うが、LDHの若い層が新しい道を切り拓いていることは事実であると思うし、その中でも大きな要素として片寄涼太くんのこれまでの軌跡があると信じてしまいたくなるのである。LDHらしくない片寄くんがありのままの姿で努力してきたことが、今回のプリンスバトルプロジェクトのような、一昔のLDHでは考えられなかったことのきっかけになっているのではないだろうか。
そういった開拓者の意識は多少あるかもしれないとキネマ旬報 NEXTで発言があるが、
「でもそこは、ガンさんの『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』(16)がありますから。あの作品が突破口だったと思います。もちろん、それに続き“20代の若手”の中でいうことに限れば、やっぱり『兄に愛されすぎて困ってます』や亜嵐くんの『ひるなかの流星』が最初だったような気がするので、自分でもそういう(開拓者だという)意識は多少あるかもしれません」(キネマ旬報NEXT Vol.24より)
と謙虚である。
また、岩田剛典さんの立ち位置に対しての共感があるかという質問に対しても
ガンさんはすごく頭もよくて、いろんな面で尊敬しています。ガンさんがやられてきたことから考えると、自分の可能性を思い描ける世界があって、そこを広げてくださってるのかなと思います。(Audition blue Apr.2019より)
と突破口となったと考えている先輩へのリスペクトが感じられた。『兄に愛されすぎて困ってます』で自身が得た実感だけでなく、やはりそういった先輩の存在も大きく関係していたのだろう。
片寄涼太くんのことをしっかりと認識して数ヶ月だが、あまりにも彼の客観的かつ冷静な判断力や自分を取り巻く物事に関する平等で毅然とした態度に圧倒させられることばかりである。
そんな彼が自分という存在を悩み、吹っ切れたあと積み重ねてきた努力がここまでの結果になっている。とても眩しくて、素晴らしくて、尊敬している。
これは考察でもなく、ただの希望をつらつらと綴った記事である。
PRINCE OF LEGENDという大好きなコンテンツとPRINCE OF LEGENDにいなくてはならない大事な存在である朱雀奏と片寄涼太くんに出会えたことへの感謝ででっち上げた記事であるが、この希望のもと、これからもプリンスバトルプロジェクトの行方を楽しみに見守りたい。
今日から待ちに待った映画が公開される。
個人的にはドラマがやはり最高なのだが、映画も多くの人に見てもらえる一つのきっかけになることを祈る。
片寄くんの投稿が素敵だったので最後に引用させていただく。是非文字まで読んでみてほしい。
Cinema★Cinema No.79 2019年 3/17 号 [雑誌]: TV LIFE 別冊
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